名称 |
穂高岳山荘(ほたかだけさんそう) |
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運営会社 |
有限会社 穂高岳山荘 |
連絡先住所 |
〒506-1111 岐阜県飛騨市神岡町東町504 |
連絡先電話 |
<営業期間外> |
定員 |
250名 |
営業期間 |
4月27日~11月4日(宿泊は11月3日まで) |
標高日本第3位(3,190m)の奥穂高岳と標高日本第8位(3,110m)の涸沢岳の間である、「白出(しらだし)のコル」(2,996m)に位置します。岐阜県と長野県の県境であり、玄関(涸沢)側は長野県、裏(白出)側は岐阜県となっています。
登山が少しずつ楽しまれ始めた大正時代。
穂高岳山荘初代・今田重太郎は、山案内人として働いていました。
ある日、穂高を歩いていた重太郎一行は嵐に見舞われ、ビバークを余儀なくされました。
小屋の必要性を痛感した重太郎は、白出のコルに小屋を建てることを決意。
そして出来たのが、穂高岳山荘の前身、『穂高小屋』です。
大正14年のことでした。
はじめは小さかった小屋も、登山をする人が増えるにつれ、大きくなっていきました。
そして 『穂高岳山荘』に改称。
重太郎の跡を引き継いだ二代目・英雄は、山荘をより良い場所にするために、いろいろな工夫をこらしました。
そのひとつが、発電にエンジンだけではなく太陽光発電と風力発電を使うこと。
石油燃料を焚くのではなく、自然のエネルギーを利用することで、穂高の地の利を生かしながら電気を起こせるのです。
穂高岳山荘は、100周年を迎えました。
多くの人々に支えられてここまで育ってきた穂高岳山荘。
そしてこれからも、その歩みは止まりません。
レジャーや娯楽が多様化する中でも、登山という文化はひときわ特別なものとして存在しています。同時に、道具の進化や通信手段の発達、山麓への交通アクセスの発達により、より身近で、さまざまな楽しみ方ができるようになってきています。
しかし、自然の力は、到底人間がかなうものではありません。
登山はときに大きな危険をはらんだものとなります。
とりわけ、穂高連峰は他の山々と比較しても峻険な山容を持っています。
それでも人は、山に、穂高に登りたいと思うのです。
わたしたちが文化を作り上げたのは、地球の歴史から見ればほんの短い間のこと。
山々はずっと、わたしたちを見守ってきたのでしょう。
自分の足で目的地へ着く。遠く高かった頂をその足で踏む。
自然の懐に抱かれ、見たことがないほどの星空の下で眠るときには、
街の時間の流れの中では考えることのできない、たくさんのことが頭をめぐるはずです。
わたしたちが大切なものを失わないために、
そしてこれからも自然とともに生きていくために、
穂高岳山荘は山小屋としての使命を守ります。
100周年記念ピンバッジの制作や二代目今田英雄の時代をえがいた書籍「穂高に遊ぶ -穂高岳山荘二代目主人今田英雄の経営哲学-」の出版、「わたしと穂高岳山荘」をテーマにしたエッセイ公募(募集終了)を行いました。
フリーペーパー「山歩みち」とのコラボ(「山歩みち 特別編集」)にて、穂高岳山荘の90周年記念誌を刊行いたしました。
穂高岳山荘85周年記念出版写真集『天空の輝き』(内田修)にて、穂高岳山荘の歴史とエネルギー施策をご紹介しております。
穂高岳山荘スタッフ 宮田八郎による映像プロダクション「ハチプロダクション」では、穂高連峰を中心とした山岳のハイビジョン撮影を行っております。webサイトおよびYouTube上にて、映像作品をご覧いただけます。