穂高岳山荘について何か書こうと思った時、僕は四人の学生を思い出しました。標高三千メートル、奥穂高岳と涸沢岳の間の、わずかな隙間に位置する穂高岳山荘から見た夕焼けに、心打たれていた学生たちを。
僕は夕陽を見るのが好きです。一日の終わりを告げ、どこか儚く哀しげな空気を残して、次のまちに旅立っていく太陽を見るのが好きです。
特に北アルプスの日の入りは格別なものだと思っています。大げさではなく、本当に一秒ごとに表情を変えていく太陽や空を見ていると、時間が過ぎるのがあっという間のように感じます。
もう少し見ていたいという微かな願いもむなしく、地の果てに沈んでいく太陽を見ながら、柄にもなく、こんな風に僕も決して立ち止まることなく、流れゆく時の中で、いつの日か消え去っていくのだろうな、と考えたりもします。
僕はそういう風に日常からそっと離れて、なんとも言えないやさしい気持ちになりながら、静かに山での時間を過ごすのが好きで、そのためによく山に行きます。
九月上旬、僕は穂高岳山荘にいました。そして、例によって穂高岳山荘の「夕焼け劇場」から夕陽を眺めていました。
その日の西側の空には厚い雲が漂っていて、夕陽が見れるかどうか怪しいところだったのですが、いざ日の入り二十分前となったころ、その雲たちがさぁーっと開いて、針でちょんと刺したら、内包された赤みがすべて溶けだしていくのではないかと思うほどの、ゆらゆらと燃え盛る太陽が顔を出しました。
その日の夕陽は本当に美しく、さっきまで厚くはっていた雲が西の空に散らばって陽の光を受けながら、まるで紅潮しているかのような様子も耽美的でした。
日の入り時刻の一時間以上前からスタンバイしていた僕は、自分もこの景色の一片になったような気がして、そこから動くことができずにいました。
完全に陽が沈み、ほとんどの宿泊客が自室に戻っていく中、どこかの誰かにとっての朝に旅立っていった太陽が、かすかに溶け残った空と、闇の匂いを漂わせながら滔々と迫りくる漆黒の空のせめぎ合いを見ながら僕はまだ「夕焼け劇場」から動けずにいました。
そんな時、穂高岳山荘の表側から四人の学生たちがやってきたのです。彼らは夕食の時間が遅かったのか夕陽を見れていない様子でした。
僕は太陽が沈んで闇に染まっていく空を見るのも好きなので、彼らも同士なのかなと思い、会話に耳を傾けていると、四人のうちの一人が、穂高岳山荘の西側の目の前にそびえる笠ヶ岳を指さして、一言、
「ってことは、あれが富士山か」
と言いました。
ん??? 富士山???
僕の頭がその言葉を飲み込み切らないうちに、もう一人が、さっき太陽が沈んでいった方の、まだ赤みが残る空を指さして、
「ってことは、あっちが南側か」
ん??? 南???
いや、ついさっきそこに太陽沈みましたよね? まだそっち側だけ夕陽の余韻残ってますよね?
夕焼け劇場の石垣の上に一人佇み、感傷に浸りながら、生きること、死ぬこと、将来のこと、過去のこと、今のこと、友人のこと、家族のこと、いろんなことに想いを馳せてやさしい気持ちになっていた僕は、彼らのでたらめな内容の会話を聞いて、なんだか興醒めしてしまった気分でした。
「君たちが富士山だと思っているのは笠ヶ岳で、南だと思っているのは西だよ!」
と興醒めの鬱憤晴らしのように彼らにそう言おうとしたその時、また別の一人が、
「人生で一番の景色だな」
と言いました。そして、それに続いてもう一人が、
「努力ってやっぱり何かの形になって返ってくるよな」
と言いました。
僕は彼らの発言を訂正しようとした自分を恥じました。確かに彼らの言っていることは正確ではないけれど、彼らは彼らにとっての「富士山」を見て、彼らにとっての「南」を見つめていたのです。そしてそれは彼らにとっての一番の景色で、努力が報われた形だったのです。そこに誰も口をはさむ余地はないし、彼らの世界を邪魔する権利などないのです。
山は素敵です。山は、山に来るすべての人を受け入れ、いろんな表情を見せてくれます。ただ、山は時に残酷でもあります。今年も多くの人が山で遭難し、亡くなりました。私も一か月ほど前に女性が滑落した現場を通りました。彼女は何を思って山に来て、そしてどんな思いで落ちていったのだろうかと考えたりもしました。
ただ、山を登りに来ただけなのに、その場所を、空気を味わいに来ただけなのに。
山が抱える楽しく美しいコトと厳しく悲しいコトのコントラストが強いことは確かです。
ただ、だからこそ、山は人を惹きつけるのかもしれません。笠ヶ岳と富士山を間違うことや、西と南を間違うこと、日常ではまず考えられない間違いをして、そして、その世界の中で心動かされる。それが、生涯忘れることのできない思い出となる。そんな世界を創り出してくれるのが山なのかもしれません。
そんなことを考えた、九月上旬の穂高岳山荘での出来事でした。